Heal the World

人生を豊かに生きていく。多くの人とそれぞれの知識や経験をわかちあい、喜びを共有していけたら。そんな想いから、こちらのブログは始まりました。ホリスティック医療の考え方を取り入れた心理セラピーやヒーリングメソッドも活用しながら、最適な考え方などを紹介しています。

敗戦国日本、GHQとの交渉、憲法改正「占領を背負いながら、動乱の中をぶれることなく生きた風の男」


1920
年代、スーパースポーツとして
ヨーロッパに、その名を轟かせていたベントレー・3リットル
当時、その車を乗り回し
ヨーロッパを縦横無尽に駆け抜ける、ひとりの日本人の姿があった。

ケンブリッジ大学クレア・カレッジに聴講生として留学していた
その男の名は、白洲次郎。
1902年2月17日、兵庫県(現在の芦屋市)に名家の次男として誕生
手がつけられないほどのやんちゃぶりに
中学卒業後、父の命により申し渡された英国留学だった。

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出典:Amazon NHKドラマスペシャル「白洲次郎」オリジナル・サウンドトラック

本人にとっては、後に「島流し」と語るその生活は
イギリス上流階級をはじめとする
各国の要人・文化人との交流を交わすことになっていく。

日本で最初にジーンズを履いた男ともいわれ
身長185cm、端正な顔立ち、ダンディなスタイルに、ものおじしないその性格は
そののち、吉田茂との出会いによって
戦後の日本とアメリカにおける大きな時代の橋渡しを担うこととなる。

GHQとの交渉では、俗に言う「オックスブリッジアクセント」と呼ばれる
上流社会特有のイギリス英語を流暢に操り、このアクセントで喋る者は
ケンブリッジ、オックスフォードの出身者、関係者以外にはいないとされている。
GHQで日本国憲法の草案を作ったCourtney Whitneyから
「きみは日本人のくせに英語がうまいじゃないか」と
嫌味まじりの言葉を発せられた際
If you study a little harder, you will improve your English.
(アナタの英語も、もう少し練習すればもっとうまくなりますよ)と返している。
この言葉は、かつてヨーロッパにおける植民地時代を忘れたかのように
勝ち誇るアメリカ側に対する「次郎の戒め」のようにも私は感じた。

マッカーサーを叱りつけた男といわれ
妻正子はこう語っている「寝言でも英語で怒鳴ってたのよ
あの人はアメリカと喧嘩するために吉田さんに雇われたんだから」

次郎にとって、日本の敗戦は、はじめから明白だった。
反戦団体に加わって活動していた次郎が、敗戦国となった日本をどう守るのか。
「従順ならざる唯一の日本人」アメリカ側にそう言わしめた
白洲次郎。
その半生が放送される。

NHK  Eテレ 先人たちの底力 知恵泉「白洲次郎」前・後編
「こんなカッコいい男になりたい 白洲次郎」(前編)
【放送日時】10月30日(火)昼 12:00~12:45
「ブレないことがカッコいい 白洲次郎」(後編)
【放送日時】10月30日(火)22:00~22:45



NHKドラマスペシャル「白洲次郎」オリジナル・サウンドトラック